
ネタバレを含む。
ペンギン絶滅を企てるペンと、卵ではなく石を温め続けるマール。共に暮らす二羽のペンギンを待ち受ける運命はいかに。愛とは何か?生きるとは何か?子供を作らない動物に価値はないのか?
引用:講談社コミックプラス
主人公のペンギン、ペンくんとその友人・マールさんは各話ごとに様々な動物に転生を繰り返す。1話ごとに異なる◯◯主義をテーマにして、それを否定していくと言うのがこの漫画の大きな軸だ。
物語と言う構造である以上、〝作品内の正解〟が出来てしまうことがこの漫画で一番引っ掛かったことだ。
各章で主人公となるペンギン(転生で他の動物にもなる)が章の始めで選択していた主義を、章の終わりでは思い直す事になるため、主人公ペンギンが選択していた主義は尽く間違いである、と言うメッセージになってしまう。
タイトルはきみの〝何が〟絶滅するのか
まず初めに気になったのはタイトルの欠けだ。
『きみの絶滅する前に』というタイトルは主語が欠けている。絶滅するのは〝きみ〟ではなく、〝きみの何か〟である。
おそらくここに入るのは〝きみの心〟もしくは〝きみの愛〟だろう。
<1>第一話 ペンギン-反出生主義
反出生主義とは ― 「反出生主義」と言っても複数の種類があり、1. 誕生否定すなわち「人間が生まれてきたことを否定する思想」と、2. 出産否定すなわち「人間を新たに生み出すことを否定する思想」の2種類に大別できる。
引用:Wikipedia
簡単に言えば『こんな苦しい世界なら、生まれて来ない方が良かった』という思想である。最近流行っているのか創作物でもこれをテーマにしたものを見掛ける。
主人公のペンくんは反出生主義の元、同族であるペンギンを殺している。ペンギンを愛しているからこそ辛い生からの解放してあげよう!と殺人ならぬ殺ペン行為に日々励んでいる。
反出生主義のペンくんに対して、隣にいるマールさんはおそらく中庸の概念として描かれている。この物語の中で〝正解〟の位置に置かれている存在だ。どの主義も染まりきってしまうのは良くない。自分が今居る立場や、他の人が選択する思想に常に疑問を挟み、本当にそれが正しいのか?と問いを立てていく姿勢は確かに大事だろう。
反出生主義を行動に移すこと自体は否定されるべきだと思う。ペンくんの行動は特に、他人の思想に関わらず自身の思想だけが正解であると思い込み、それを暴力的手段で他人に押し付けているからだ。
しかし、反出生主義を持つこと自体は悪ではないだろう。多方面的な考え方から社会の最善とは、世界をどう捉えるかは大切な事だと思うし、その為には異なる主義の存在も必要である。
そもそも主義主張の前に、殺人とは違法行為であり、反出生主義が正しいか間違っているかとは別の問題が発生している。ペンくんの否定されるべき所は社会のルールを破ったことであり、反出生主義を持った事ではない。
ペンくんは第二話でカラスに転生し、ペンギン時代に行っていた同族を殺す行動は取らなくなるので、マールさんとの対話を通して反出生主義が和らいだのだろう。このように話数を追うごとにペンくんは考えを改め、マールさんの考えに近付いていく。
この構造が、漫画的にはマールさんの言うことが、『きみの◯◯が絶滅しないためには正しい』と言うことになっている。
マールさんはペンくんと、その他大衆の中間に居る。大衆は子供を作って、世代を重ねていくことを良しとし、そういう活動に参加しない者を非生産的だと非難する。マールさんは卵の代わりに孵化しない石を温め続けることでその大衆の思想に抗議していると言う。
マールさんの事を否定する人は現れず、それが正解のように描かれているが、果たして生きとし生けるものは皆、世界に抗議しなければならないのか。抗議することが正しくて、大衆の思想である、子を作る事を良しとし、一般大衆として生涯を終えることは悪なのだろうか。
<2>第二話 カラス-虚無主義
虚無主義とは ― 既成の宗教・道徳・倫理・社会的慣習、さらには世界そのものや人間存在までをも無価値とする、哲学上の世界観。
引用:コトバンク
カラスに転生したペンくんは今度は虚無主義を採る。お葬式をする他のカラスを見て、そんな儀式に意味があるのか、と思う。生きていること自体、無価値であるのだから、文化も無価値で無駄であるとペンくんは思う。
それに対して先輩であるマールさんは文化を礼賛する。カラスとして生まれただけではカラスに在らず、文化を持ってしてこそカラスであると言う主張だ。
結局文化など、弔う行為など無意味であると思いながらもペンくんは先に亡くなった先輩に花を手向る。そして自分の番の時には通りすがりのカラス達が『寂しそうだったから』と言う理由で自身を弔ってくれることを受け入れる。そんなことでいいのか、と思いながら。
虚無主義の根底にあるのは、感情への無理解と経験の無さであると言う批判がこの展開から読み取れる。他人の行為を否定するけれど、実際自分がなったら(弔って貰えなかったら)寂しいでしょう?と言う主張が見えるのだ。
感情を神格化し、感情や欲求を一番とするのなら、文化は無意味である、文化的行為をしなくても良い、したくない、もまた別の感情なんじゃない?と思ってしまう。
カラスのペンくんはペンギンの時とは違い、他人の行為を妨害はしていない。自分は、その文化に与しないとしているだけだ。寂しいから◯◯した方が良い、と無価値だと思うから◯◯しない、という思考には優劣があるのだろうか?
様々な◯◯主義が登場し、批判され、変化していくことの意味は私たちが最適な社会運用ルールを求めているからじゃないかと思う。どう社会を捉えれば一番良い社会と言えるか。それに対する誰かの考えに名称を付け、支持するものが◯◯主義だろう。最適な社会の捉え方を見つけるという目的に添うならば、◯◯主義は間違いである、と全否定するのではなく、◯◯主義を取るとこういうところに問題点があるよね、こういう事が起こってしまうよね、と検討していく姿勢が必要なのではないか。
虚無主義を取ってしまうと自分が寂しいから、という終着点はあまりに思考停止な解答に見える。
<3>その後
第三話ではラッコに転生したペンくんは、一話で大衆が信じていた再生産的未来主義を選択し……、と同じように何らかの主義を信奉してはマールさんとの交流を通じて思いを改めるという展開が続く。
様々な主義と改宗を経て、最終話でペンくんは再びペンギンに生まれ変わる。ペンギンが絶滅した世界でペンくんは養子のバートくんと二人で暮らしている。
バートくんは一話の時のペンくんと同じように反出生主義に陥りそうになっている。そんなバートくんに、一通りの主義を経験したペンくんの出した答えが『愛』なのだ。愛しているから君にそんなことはさせない、とバートくんを止めるのだが…。
行き過ぎた主義主張に染まり過ぎれば君の心(もしくは愛)が絶滅してしまう、という主張はわかる。だがその答えが定義の曖昧な『愛』であり、尚且つそれが最善であると言うのはあまりに暴力的だ。愛こそ全てを救う、をやるにはこのテーマ、形式は最悪ではないか。
絶対的に正しいと何かを信じることは暴力的になりかねない。これは第一話でペンくんがしていたことそのものだ。彼は反出生主義であり、他のペンギンを絶滅させることこそ愛であると信じていた。その愛と、バートくんに対する愛は何が違うのか。他人の権利や何らかを害する、害さない、だけの違いなのだろうか?
一話で描かれていたように『愛』という暴力も存在する以上、このテーマで描くのならばせめて、ペンくんが最後に辿り着いた愛とはこういう愛であるという持論をもっと展開して欲しかった。



