はじまり

日記

人生の半分以上をインターネットと共に生きている。
これだけの年数、ネットの海にどっぷりと浸かり過ごしていればブログに挑戦したことも一度や二度ではない。
特にインターネットの成長が著しかった時代も見ているので、やれ個人サイトだ、新しいブログサービスだ、と次から次へと登場する新形態を試してみては去るというのを何度繰り返したかわからない。
そのうち新しい形態の投稿型サービスが登場しても、どうせ続きもしなければ、熱心に更新する気力も私にはないのだと手も出さなくなっていった。
そんな感情を抱いていた私が再びブログを立てる目的を、初心として記録しておこうと思う。

そもそも漠然と自分の言葉を記述すること、アウトプットすることには興味があった。
本を読めばアウトプットの重要性を解かれ、ブログやつぶやき、誰かの発信の中でアウトプットの良さが語られている。
さらに今はX(旧Twitter)にnote、各種ブログサービスなど発信する場は数え切れないほどに増え、動画コンテンツの発信サービスも多岐に渡る。一億総アウトプット時代である。
そこかしこで重要視され、皆が熱中している行動を、私も取り入れてみるべきでは?と思うのは当然のことだろう。何かやってみようかという思いは抱えながらも、特に書きたい事もないし…と対岸から眺めるだけだった。

そんな折、ふと幸福について考えていた。アウトプットをやってみたいな、と言う気持ちが常々頭の片隅にあったように、幸福とは何か、私が幸福になる為には何をすればいいのか、と言う問いもいつも頭の中にある。
幸福になりたい、幸福の方が良いことである、と言うのは紛れもなく真であると思う。誰もが不幸よりかは幸福が望むだろう。
言い換えるならばより満たされた状態を望むのが人、生き物と言うものだ。
普遍的な生きる理由はひとつ挙げるならば幸福になるため、ではないだろうか。

幸福な方が良いのは明らかだが、具体的には何をもって幸福とするのか、どうすればいいのかとなると頭を悩ませてしまう。
文学、音楽、漫画、哲学、はたまた人々の呟きの中でも、『幸福とは何か』と言う問いはそこかしこで見かける。
古今東西、様々な人がぶち当たる疑問なのだろう。それに対する答えは実に様々であり、人に依って変わるとしか言い様がない。
一個人に焦点を当てて見ても、年によって変わったり、もしかすれば日によって何が幸福か、とは変化しているかもしれない。

幸福になりたい、なろう、と思うからにはまずは自分にとっての幸福とは何かを形にしなければならない。

幸福の加算と減算

自分の幸福度を考える時に、プラスとして作用するものと、マイナスとして作用するものがある。
減算は私にとって比較的簡単だ。幸福の妨げになるものは無意識であっても目につきやすい。嫌だと感じるもの、ストレスの原因になるもの。
一方、加算となるものが難しい。自分の毎日の点数が上がるものは何か。何を増やせば今より幸福度が上がるのか。
マイナスなものと比べてはっきりとコレ、と言えるものがない。
幸福度を上げるものが存在していないわけではなく、言語化できていないのだろう。
これはもう随分と長いこと私の中でモヤモヤしていたものでもある。

文房具沼や手帳沼と呼ばれる界隈が盛り上がりを見せる昨今。沼に深くハマっているとは言えないまでも、その界隈が好きで良く眺めていた。
そこで良く見かけるのが、日記や手帳の記録を付けることで、はっきりと言語化できていなかった自分の趣味や好み、興味が見えてくるという話だ。
誰かひとりが言っていたわけではなく、何度かこの話題を見た。
安直な私はそれならば日記をつけてみようと、何年振り何度目かわからない日記に挑戦してみた。
結果、試行錯誤を繰り返しながら続けることはできているのだが、如何せん完全にクローズドな日記では出来事の羅列になってしまう。
読み返すのが自分ならば簡易な文章でわかるだろうと箇条書きのような状態だ。
これはこれで記録としての価値は持つが、どうも私が想定していた自分の好みや考えの抽出は出来そうにない。
他人が読むことを想定しなければ、連続した文章が書けないらしい。

そこでnoteへと船を漕ぎ出してみた。
日記帳としての使い方をしている人もいるし、自身の感想や、考えや、プロからアマまで様々な文章に溢れている。
これほど適したサービスはないだろうと数本書いてみたのだが…雑念が余りにも多い!
自身の文章をマネタイズしたい人たちがしのぎを削るおすすめ欄。注目欲しさの営業いいね。好きで勝手にフォローしている人に、自分の文章が読まれるかもしれない可能性。noteは私には人の気配が多すぎる。
インターネットに長く住まい、インターネットを愛しているのにこの双方向性にはどうしても苦手意識が付きまとう。
仕方なしに誰かが辿り着蹴るかもわからないけれど一応完全なクローズドではないWordPress型に落ち着いたと言う訳だ。余りにも今のインターネットが向いてなさすぎる。

叶わない夢のため

『どうせ死ぬ この世は遊び 人は皆』という本を読んだ。
この本の中に絶対に叶わない夢を持ってみよ、と言う言葉があった。これを実行してみたいと思った。

夢は見るもんじゃない叶えるもんだ、なんて歌う歌手もいるし、実現可能な事を小さなステップで一歩ずつ行う事が目標達成の鉄則だと語る人もいる。
どちらも正しいし、一番上に据える目標によっては確実に叶う夢を持つ事の方が正しかったりもする。
例えばなりたい職業、なんてのは実現可能性が高い方がいいに決まっていて、絶対になれない職業を目指すべきではない。

今回の私の場合は、人生の幸福度を上げる為に叶わない夢を持つのである。
おそらく実現不可能ではあるが、叶ったらとても嬉しいし、そこに向かって何かに取り組む過程は自分を豊かに(おそらく幸福に)してくれるだろうと言う考えの元、叶わない夢を持つのだ。
旅行は計画段階が一番楽しい、なんてのは良く聞くし、何週間か先に楽しみを作ってそれまで仕事を頑張る、というのも皆やっていることだろう。
行きたい場所のリストアップ、次いつ会えるかわからない友人と次に何をして遊ぶかの話をすること。どれも目標達成までの間の時間に幸福を感じられる。

要は先に希望を据えてその過程でアレやコレやすることは幸福を感じるひとつの手段だと思うのだ。実現可能かどうかは関係ない。希望をもつこと。
そして過程で幸福を感じられるのならば、その夢として見据えるのは実現可能性が低い方がいい。叶わなくても落ち込まない夢という観点は必要かもしれないが。

私が設定した夢は、自分のコピーを作る、若しくは同じような考えを持つ人と出会うこと、だ。
考えていることの何割も人には伝えられない。私の考えを全て知って貰うのは難しいとは常々思ってきたことだ。
もしも考えたことを全てここに記述できたら、誰かがそれに共感してくれたら。私のこの考えをAIにインプットできたら。
私のコピー、若しくは考えに賛同してくれる人と出会うことができる。
その叶わない夢の為に、考えたことを中心に、見た物読んだものの感じたことを書いて行こうと思ったのである。